横浜 安産祈願の神社

 横浜・水天宮平沼神社  

水天宮平沼神社

 江戸後期の水天宮

水天宮平沼神社の由緒

 

大正期の水天宮 水天宮平沼神社は、横浜市の表玄関、横浜駅東口一帯の高島町(現在は一部みなとみらい)、平沼町、西平沼町、緑町(現在は一部みなとみらい)の氏神様として、天保10年、平沼新田を開拓された平沼九兵衛翁が新田の守護神としてお祀りし創建されました。

社伝に依れば当時、平沼新田は塩田で有り、塩田作業中の村人が、入江に流れついた祠を見つけ、沖に返そうとすれども祠は何度となく岸に戻ってくるので、九兵衛翁に、その事を伝えると、九兵衛翁は、守護神が無いこの地に祀れとの神様の御啓示であろうと感謝し、岸に上げて平沼新田の守護神としてお祀りしました。

祠の内には、九州久留米の水天宮様の御神札が祀られていたので、水天宮と称し、安産・水の神様として氏子を始め広く横浜村の人々に、横浜の水天宮様として崇敬されました。  

その後、明治初期に神社の社格制度が制定され、平沼の鎮守様として指定村社に列せられると共に、名称も水天宮から、平沼神社と改称されましたが、一世紀以上経った今日まで水天宮様の名称で親しまれ、氏子や崇敬者からは水天宮平沼神社と称され有名となっています。

水天宮平沼神社の御祭神

龍 天御中主神(あめのみなかぬし)   
世の中で最初に現れた神様とされており、天地を創った創造三柱の神の内の一柱とされています。世の中の中心を司り、すべての根源とされる神様です。

安徳天皇(あんとくてんのう)   
幼くして第81代天皇にご即位されましたが、僅か8歳の時に、源平決戦の場とされる壇ノ浦から、祖母二位の尼と共に、波の下の都へ御身を移されました。入水された後、現在に至るまで、水を司り、子供を守る神様として崇敬されています。

水天宮平沼神社では、安産・水難除・火難除に霊験あらたかな、天御中主神と安徳天皇の二柱の神様を、「安産・水徳の神」としてお祀りしております。  

御神威の有難さは、大正12年9月1日の関東大震災時に崩れることなく、更に震災の際、近隣の出火が重なり、四辺猛火に包まれましたが、奇跡的にも厄を免れた事と、昭和20年5月29日の横浜大空襲時には、横浜市内が焦土と化した中、御鎮座された一角だけは焼け落ちなかった事から、氏子に強く語り継がれております。  

横浜市街地の神社で、関東大震災と横浜大空襲の2つの大難を免れた事は、極めて稀でした。  

水天宮平沼神社史

 

万延期の水天宮 水天宮平沼神社は天保10年に、現在の横浜市西区西平沼町に有る帷子川(今井川)の、元平沼橋(右画像では本沼橋と記載)附近の横浜道添に御鎮座されていましたが、御鎮座地周辺の発展と共にその場所を参度転じ、文久3年に現在地に御鎮座され、大正2年に本殿の前に拝殿を新築して、現在の社殿が完成しました。  

 

平成元年に御鎮座150年を迎え記念事業として本殿改築並びに境内整備工事を行い、平成10年には、神楽殿を改築し今日に至っています。